【京都サンガ】京都新聞に秋田、森岡レポート

取り急ぎ。

秋田、存在感で他を圧倒 連載・サンガFC新戦力(上-1):京都新聞電子版

 昨季、3年間在籍した名古屋から戦力外通告を受けたが、精神的な支柱を求めたサンガからの入団要請を快諾した。その理由はJ1昇格という「目指すものがあるから」。将来の指導者への転身に備え、J2を経験したい思いもあった。
 フロントの期待通り、練習中は大声で仲間を励まし、しかり、諭す。若手は少年時代にあこがれた名選手のアドバイスに素直に従い、チーム全体が昨年以上に練習熱心で活発な雰囲気に包まれている。「高くも速くもない僕がなぜ代表入りでき、長くプレーできているのか。若い選手はその理由を見つけてほしい」

森岡、冷静に守備陣統率 連載・サンガFC新戦力(上-2):京都新聞電子版

ここ数年、「清水にいるだけでいいのか」という思いが募っていた。昨季は若手の台頭で出場機会が減った。チームが低迷から脱したこともあって自ら移籍リスト登録を志願。昨年末に入団要請について詳しく聞くためサンガタウンを訪れ、到着から2時間後にはサインした。「美濃部監督、梅本社長と話して心に響いたから」と即決の理由を語る。家族には事後連絡だったが、京都に住める機会はめったにないと歓迎されたという。

【京都サンガ】キャンプ直前トレーニング

さあキャンプだ!サンガが直前トレーニング:京都新聞電子版

31日は午前の便で鹿児島空港に到着。午後から鹿児島県さつま町で練習をスタートする。美濃部監督は「良い感じでキャンプへ行けるが、これからがチームづくりの本番」と引き締めていた。

石井ちゃんの走り方はいつもかっこいいな。

クロアチア代表FWクラスニッチが2度目の腎移植手術

クラスニッチ、2度目の腎移植へ:uefa.com – UEFAカップ – ニュース – ニュース詳細

ベルダー・ブレーメンのクロアチア代表FWイバン・クラスニッチ(27)が、25日に行なわれた腎臓の移植手術が失敗に終わったため、2度目の手術を受けることになった。
クラスニッチの弁護士のクラウス・ピーター・ホルンダッシュ氏は、同選手が移植した腎臓に拒否反応を示したが、重体ではないと明らかにした。「現状では生命の危険はない。合併症を起こしているが、容体は安定している」

クラスニッチ。・゚゚(ノД`)
はじめての手術のニュースのときも思ったんですが、腎臓移植して6週間でゲーム復帰予定って!
体調戻るのかなー。

調べてみたら、
腎移植

移植後の生活は拒絶反応と感染症とのたたかいといっても過言ではありません。正しい服薬と健康管理が求められる理由がここにあります。

とのこと。
腎不全の患者にとって唯一の根本的治療法が移植手術だそうです。
で、クラスニッチ選手のばあいは拒絶反応が起きてしまった、残念ながら。

そういえば、インド・スマトラ沖地震被災者が
「腎臓を売ってお金を得た」
というニュースを覚えてませんか?
きっと、それだけ「需要」があるということなのかな、と。

求められる人造腎臓。

東国原英夫知事とか

案の定、叩かれています。
で、雑誌やテレビなどでのバッシングのされ方がタイゾー議員と同じフォーマットといいますか、おまえにナニができるんだ?的嘲笑なのが、ちょっと違和感が。
売春事件後、思索生活にふけった結果、早稲田大学に進んだ経緯を知れば、もう少し見る目も変わるのになぁということで、以下の書物を推薦しておきますです。
Sex & Books & Football – そのまんま東「芸人学生」(****)

興味深い記事も。
asahi.com:「チームそのまんま」原動力 マニフェスト作り支える – 政治

 21日の宮崎県知事選で初当選した東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)(そのまんま東)氏は、公約80項目を盛り込んだ「そのまんまマニフェスト」を掲げ、「元お笑い芸人」というイメージからの脱却に成功した。マニフェストづくりを支えたのは知事自身が「チームそのまんま」と呼ぶ団塊ジュニア15人だった。
 「知事選出馬を考えている。宮崎の現状を掘り下げたいから一緒に勉強してみませんか」。早稲田大学大学院で公共経営を学ぶ渡瀬裕哉さん(25)は昨年11月中旬、大学院の先輩の紹介で、東京・渋谷の喫茶店で本人と初めて会った。
 宮崎県発注の公共事業を巡る談合事件で、安藤忠恕知事(当時)の進退が取りざたされていたころ。その年の3月に東国原氏は早大政経学部を中退していた。「そのまんま東」が政治に興味があるとは正直、意外だったが「有名人とやりとりできるなんて楽しそうだ」。すぐ引き受けた。
 渡瀬さんは、企業や政治家のインターンを通じて知り合った大学生による政策研究・提言のNPO法人「政策過程研究機構」の設立(01年)に参加。20代ながら自治体運営への提言や論文を発表するなど、その世界では知る人ぞ知る存在だ。先輩が渡瀬さんを紹介したのも、そんな実績を見込んでのことだった。
 とはいえ、マニフェスト作りは初めて。「そのまんま東さんに会わない?」。友人のケータイを鳴らしては誘った。「へえ。いいよ」。大学時代に防災を専攻した会社員、シンクタンク職員、経営コンサルタント、旅行会社員。全員が20〜30代前半の団塊ジュニアだった。
 1回目の会議は11月25日夜。渋谷区のビルの一室に十数人が集まった。ジャージーにめがね姿で現れた東国原氏は小さなノートを取りだした。「政策」を書き込んだ、そのノートに目をやりながら自分の思いをとつとつと語った。談合事件や交通網の整備の遅れなどを挙げて「このままでは宮崎は陸の孤島になってしまう。自分がセールスマンになって、外とのネットワークをつくりたい」。
 話から「教育」や「観光」「行革」など重点的に訴えたいテーマが見えてきた。「幹の部分は、彼がすでに描いていた。僕たちはその思いにデータを補強したり、具体策を提案したりした」
 マニフェストの土台となる宮崎の現状や課題をつかむため、県がインターネットで公表している報告書や統計を分析した。総合計画や雇用・産業再生指針、国が作成した県経済の現況報告……。「農業県のイメージが強いが、実はサービス業や製造業が成長を支えていた。観光業に力を入れ、かつ競争力のある企業を誘致するために何をすべきかを皆で考えた」と渡瀬さん。
 マニフェストには「サービス業進出への支援」「半導体産業、自動車産業を中心に誘致活動を強化」などが入った。ほかにも、被災時の生活費を支援する「災害時安心基金」(3億円)や中山間地の医師巡回制度「宮崎型ホームドクター制度」などは、本人が実現を強く希望したという。
 会議は平日夜を中心に開かれ、東国原氏も必ず出席した。毎回5〜6時間はざらで、議論した結果は電子メールで共有。それをたたき台に次回に臨んだ。一字一句、食い入るように資料を読んで議論し、質問も細部に及ぶ姿に「彼は本気だ」と思った。
 立候補表明直前の12月初め、マニフェストが完成した。報酬代わりに色紙20枚にサインしてもらい、握手して別れた。
 当選は、友人から携帯メールが続々入って知った。ああ、本当に知事になるのか。感慨深かった。「マニフェストは今や、宮崎全体のものになった。実現に向けて頑張って欲しい」

asahi.com:東国原知事 Jリーグ川崎のキャンプ地訪れ、セールス – 社会

【京都サンガ】トレーニングマッチ VS京都サンガU-18

頑波さんのところにフォメつきで詳細がありますので、手抜きですみません。
頑波日記:TM 京都サンガF.C. vs 京都サンガF.C U-18 – livedoor Blog(ブログ)

4-4-2のボックス型、ダイヤモンド型、および3-5-2を試しているみたい。
軽いけが人もいるのに、レギュラー争いが激しそうなことだけは確かですね!