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2008年7月19日のアーカイブ
サタミシュウ「私の奴隷になりなさい」(****)
- 2008 年 7 月 19 日 12:00 AM
- 書籍小説
■私の奴隷になりなさい (角川文庫 さ 47-1)
◇内容:出版社に転職した僕は、先輩の香奈に一目惚れし、「落とそう」と決意する。だが、まったく振り向いてくれず困惑していたところ、突如彼女から「今夜、セックスしましょう」と誘われ、一夜を過ごす。その後も奇妙な関係が続いていたある日、僕は彼女の自宅で不審なビデオを発見してしまう。そこには衝撃の秘密が映し出されていた——。男と女の新たな関係性を説いたSM青春小説の誕生!(単行本『スモールワールド』より改題)
昔、雑誌連載で偶然読んでいたのですが、ひょんなことから文庫版を手に入れて再読してみた。
■Sex & Books & Football: サタミシュウ「スモールワールド」@雑誌「野性時代」掲載(***)
「奴隷になるということは自由を奪われるということではない。隷属というのは、他のものに対して寛容になるということなのだよ」
という引用文から、物語は始まる。
美しい人妻・香奈は中年のおっちゃん=「御主人様」にみっちり「調教」されている。
その関係性に、主人公が巻き込まれていく…という展開が描かれる。
初読のときは「調教」の描写にwktkして気がつかなかったんのだが、「御主人様」であるおっちゃんのウンチクがいちいち面白い。
★「簡単にいえばこういうことだ。
私のような男は、香奈のような美しくインテリでプライドの高い、しかし男性経験が見た目よりも極端に少ない二十代後半の女しか、奴隷にすることはできない。
…(中略)…
好きだ嫌いだ、セックスをしたいしたくない。
それ以前の問題として、自分はどのタイプの女とするべきか、どのタイプの女と関係をもてば、自分がもっとも心地よい状態を作れ、かつ相手にはそれ以上の快楽をもたらすことができるのか。
そこを把握すれば、どんな女でも簡単に口説ける。
もちろん百人の女がいてすべて奴隷にすることができるかという意味ではない。
百人のうち三人しかいないかもしれないが、その三人を見抜くことに間違いはなくなるということだ。
…(中略)…
百人の王国の王になることができる男ももちろんいる。
しかしほとんどの男はそうなることはできない。
百人の王国の下僕に成り下がって終わりだ。
どちらが正しいのかどちらが面白いのかはわからないが、私は三人の小国の王になることを選んだだけだ」187-188p
その直後にはこんなことばも。
★「私のしていることはSMではないし、私自身、SMに興味はない」
男はほとんど減っていない香奈のグラスに酒を注ぎ足してから言った。
「私が他人よりも異常なことがあるとすれば、それは調教癖というものだろう。
もしそれをSMとよぶのであればそれでかまわないが、その場合、SMとは嗜好ではなく関係性の問題だ」188p
で、だんだん精神論というかスピリチュアルなところまで話は進んでいく。
★私が施す治療によって、もっとも忌むべき人間のつまらない部分が治る。
それが何かわかるか?
…(中略)…
執着心だ。
いつのまにか自分で作ってしまった、くだらない執着の数々。
私はこういうものが好きでこういうものは嫌い。
私はこういうことはするけどこういうことはしない。
私はこういうことは許せるけどこういうことは許せない。
私はこういうことは譲れるけどこういうことは譲れない。
そんな単純な二択の組み合わせで、世の中で言われるアイデンティティというものはできている。
…(中略)…
私は香奈が持っている執着をすべて私に集中させた。
私と私が行うプレイのみに、香奈が執着するようにしたのだ。
すると、それ以外のことはいい意味でこだわりというものがなくなる。
先ほど言ったとおり、家庭も仕事も友人関係もうまくいくようになったのは、香奈がそういったものたちに見返りを求めず流れるままに接することができるようになったからだ。
香奈は私の精液を飲むことや私に犯されることだけに執着と快楽を見いだす。
それは他のことをおろそかにするという意味ではなく、逆に素直に構えず物事に対処していけるという意味なのだ」190p
話、広がりすぎだろーが!
という突っ込みもありつつ、なるほどと感心する部分もあったりして。
おっさんの言葉づかいがエロ小説ふうというか、芝居がかっていて笑っちゃうのが玉に瑕ではあるものの…。
代々木忠とかに似た、「エロスピリチュアル」とでもいうか、そんな内容の小説として評価したい。
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