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2008年7月のアーカイブ

【映画】「蛇にピアス」@試写会

演劇界のキョショーが4年ぶりにメガホンを取る。

おそろしいほどに原作どおり。
セリフとかもほぼ同じ。
オリジナル設定なし。
つまりは、純文学をそのまま映画化しちゃった。
じゃあ、退屈かといえば、これがまたよかった。
そして、映像の力を思い知った。

舌にピアスを空け、拡張していくことで、最終的に舌先を2つに割る——スプリットタン。
そんな身体改造にとりつかれた少女が主人公なのだが、原作小説ではその「痛み」がなかなか伝わらなかった。
だけど、それが映像になったとき!
舌にピアスホールを入れるために、針を舌に突き刺すシーンだけで、先端恐怖症の人は失禁モノだ。
さらに、一度空けた穴をピアスでどんどん拡張していくところも、なんとまぁ。

で、それ以上の見所はなんつっても吉高由里子の脱ぎっぷり。
新進女優がヌードに挑戦!
とかいっても、ほんのワンシーンだったりするものだが、吉高さんは違う。
脱ぎまくりだ。
いきなり、クラブで知り合った男とコトに及ぶし。
彫り師のサディストに首締めファックされるし。
刺青を掘られるときは、バックヌードだし。
あっぱれ、あっぱれ。
小ぶりながらも綺麗なカタチの乳房とちょっと黒目の乳首は、舌にピアスを空けるシーンとともに目に焼き付いているのだった。
下品でスマン。

話戻して、全体としては重たいトーンの物語。
同監督の「青の炎」、父親を殺そうとする高校生の話に近い感じである。
”生きにくい”と思ってる主人公が、身体改造に走ることで、生きる意味的なものを捕まえようと模索する。
だけど、途中で自分が何をしてるのかわからなくなっていく。
へヴィなトーンのなかで描かれる、主人公のストラッグルっぷりがステキな作品でした。

※DVD
蛇にピアス [DVD]
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※過去ログ
Sex & Books & Football – 金原ひとみ「蛇にピアス」(***)

金原ひとみ「蛇にピアス」(***)

蛇にピアス (集英社文庫)
蛇にピアス (集英社文庫)

先日、映画版を見たので、まず本のことを改めて。

生きていくこと、のなかで、何に価値を見いだすのか?
すごい難問。

この本の主人公・ルイは、”ギャル”。
たまにコンパニオンのバイトをするフリーターだ。
とくにやりたいこともなく生きていた彼女。
ある日、クラブで知り合った男と知り合ってから、変わる。
舌にピアスを入れ、背中にタトゥを入れる。
身体改造に熱中していくのだ。

じぶんのカラダを改造する。
そこに、なんらかの”生き甲斐”を見いだしたルイ。
その終着点は…けっきょくこの小説のなかでは描かれていない。

たぶん、援助交際の時代の
「まったり生きる」
女性たちの延長線上に、ルイは位置づけられていると思う。
カラダを売る。
カラダをイジる。
向かうベクトルは違うけど、目的は同じ。

なぜ、なんのために、いま自分は生きているのか?
よくわからないし、考えることもない。
そんなギャルが、自分のカラダを介在させたとき…。
カラダを使う/使われることで、生きていることを感じ取れるというか。
そんなことが、この作品では言われてるのでしょうか?

でも、主人公がぐうぜん起業するオヤジに誘われるうちに、ビジネスのおもしろさを知る…。
だったら、サラリーマン金太郎女性版だし。
主人公がコンパニオンのバイト友達から誘われ、温泉でフラダンスを踊るように…。
だったら、フラガール。
そういう意味では、スプリットタンという新鮮な題材を使ってはいるが、
 ・書いているテーマ(生の実感がない主人公)
 ・ストーリー展開(偶然誰かに誘われて…)
はベーシックな小説なのかもしれないなー。

★あれからというもの、舌の痛みもおさまってきたというのに、私は舌ピを拡張する気になれない。
褒めてくれる人もいない今、私の舌ピは意味をもたないのだろうか。
もしかしたら、私はアマが言っていたように、アマと同じ気持ちを共有したくてスプリットタンを目指していたのかもしれない。
…(中略)
アマも熱意もなくなってしまった今、この舌ピにいったい何の意味があるんだろう。105p

銀色夏生「子どもとの暮らしと会話」(**)

子どもとの暮らしと会話 (角川文庫 き 9-65)
子どもとの暮らしと会話 (角川文庫 き 9-65)

「つれづれノート」的なものはもう書かない、といっていた著者の育児エッセイ。
のはずが、いつのまにか身辺雑記的な要素が増えていって、小見出しが日付になって、結局「つれづれノート」になってしまっているのが、面白い。
しかし、この人はなんのために、誰に向かってこの本を書いているのか…?
ワタクシ的には、以下のような瞬間的なキラメキのような文章をすくいだす…って感じです。

★人生観って本当は毎日すこしずつ変わってるんだよね。
よく、何かを見たり体験して急に人生観が変わったっていうのは、努力したり、めずらしい景色を見たりして、すごく感動すると、長い間こころにたまってた古い埃や汚れがふるい落とされて視界がクリアになってこころが洗い清められたみたいになるから、そう思うんじゃないかな。
埃や汚れをためずにいつも払い落としながら暮らしていけば、毎日がクリアでいられると思う。
そうすると、なにかをきっかけにしていきなり大きく人生観が変わる、なんてことはなくなるんじゃないかな。(274p)


宮子あずさ「看護婦が見つめた人間が死ぬということ」(***)

看護婦が見つめた人間が死ぬということ (講談社文庫)
看護婦が見つめた人間が死ぬということ (講談社文庫)

とある書店に平積みしてあって、買ってみました。
親本は1994年に書かれたもの。
何人もの患者が死ぬことに直面した看護婦さんだから言えるエピソードの数々が綴られます。

なかでも、ラストのほうにでてきた一節は心にポンと入ってきました。

★私は、患者さんの死にあたって、悲しんでいる家族にはかならず、
「誰もがいずれは行くところに、先に行かれるだけなんですよ。
今さいなまれている苦しみから解放されて、楽におなりになるんですよ」
と申し上げることにしています。(227p)


もちろん科学的な根拠はなく、目の前でたくさんの死が通り過ぎていった結果の感想。
なのですが、「人間の死」というものの説明として、今まで出会ったもののなかでいちばん感心した文章のひとつです。
うーん、って感じ。

藤原伊織「テロリストのパラソル」(***)

テロリストのパラソル (講談社文庫)
テロリストのパラソル (講談社文庫)

ふと、再読。
はじめて読んだときは、びっくりしたものだ。
オチのすごさに。
そう来るかーと。

10年ぶりぐらいに読み返してみた感想は…。
ちょっと主人公の「ハードボイルドさ」が濃すぎるかなという気はした。
ただ、オチは覚えていても、ページを繰る手が止まらない。
細かいディテールとか、エピソードが、いいんです。

★彼は微笑を浮かべた。
以前と同じにみえるやわらかな微笑だった。
二十二年。
すべてを変えるにはじゅうぶんな歳月だ。
しかし、人は変質しても同じ微笑を浮かべることはできる。
容易にできる。(339p)

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